【シャンパン】ロシア/ソ連 アブラウドゥルソ用おつまみ話
「アブラウドゥルソ」はロシア皇帝の食卓と同じように、キャビアやイクラ、油たっぷりのサラミとともに楽しむといいかもしれません。
日本で間に合わせるおつまみは?
日本でも簡単に手に入るアブラウドゥルソ用おつまみ
- キャビアまたはランプフィッシュキャビア
- イクラ(醤油ではなく塩)
- 厚切りのサラミ
- ニシンの酢漬けと茹でたジャガイモ(ウォッカにも合います)
アブラウ=ドゥルソって?
アブラウドゥルソはロシア南部、クリミアから近い黒海付近の保養地の名前です。
1870年、帝政ロシアのアレクサンドル2世が「アブラウ湖の近くに農場を設立しロシア南部で農業文化を育てる」という令をいきなり発布しました。背景には、当時のロシアの貴族はシャンパンをフランスから輸入しており、どうやらフランスのシャンパンに対抗したいコンプレックスからこの令が発布されてしまったようです。農地の開拓には大量の兵士が無駄に動員され、一気にブドウ畑が広がりました。
20世紀に入るとフランスの展覧会にまで出品するほどとなりました。世界に高品質さを示したロシアのシャンパンですが、相変わらず民衆には渡らずエリート向けの飲み物であり続けました。
アブラウドゥルソ、量産しても貴族専用のまま
当時シャンパンの製造プロセスは完全にフランスのワイン生産者が主導しており、シャンパンは宮廷と貴族のニーズを満たすためにのみ製造され、生産量は少なかったそうです。それでフランスに対するコンプレックスは解消できたのか?と謎は尽きません。
ロシア禁酒法の波
しかし日露戦争で負けたロシアは、負けた原因をウォッカの飲みすぎと判断し禁酒法を制定します。ウォッカの販売から得られる収入は当時国家予算の3分の1を占めており、それほどアル中が多かったのですが、それよりもアル中で日本に負けたことがショックだったのでしょう。
共産党の思いつきでソ連マークのアブラウドゥルソ復活。
1936年、共産党はブルジョア階級の特徴としてシャンパンを非難することを突然拒否し、工業生産を開始しました。すぐにスターリン主導でシャンパンの生産に関する人民委員会の決定が採択。シャンパンは豊かな生活の象徴であり、ならば豊かであるべき社会主義国家はシャンパンくらい飲めなきゃ、の気持ちがあったようです。
[aside type=”normal”]ソ連では1929-1930年に農場集団化と没収の政策が実行されます。農民は農地没収の上に労働者としてなぜかシベリア送りとなり、その労働力消滅の波を受け家畜の数は激減。400万人から500万人が飢餓で死亡しました。この出来事は西側諸国でも話題になり、ソ連の台所事情がバレてしまいました。そこでソ連首脳部は「シャンパンが飲める=リッチ」といった田舎者丸出しなロジックを思いつきました。ソ連での生活が良くなり、普通のソ連の労働者はシャンパンやキャビア、チョコレートを買うことができることを示したかったようです。[/aside]
「社会主義シャンパン」誕生
共産党はシャンパンの作り方を知りません。そこでアブラウ=ドゥルソのシャンパン工場を率いていたアントンに”社会的命令”を下し、中央アジアやコーカサスにあるソ連衛星国でシャンパンの製造を急スタートさせました。
社会主義シャンパンは新年の食卓に!といった謎のスローガンの名の下に、実際にソ連民に手の届くシャンパンとなりました。アブラウ=ドゥルソがなければ社会主義シャンパンは生まれませんでした。
「ソビエトシャンパン」へのノスタルジックな愛着を持つのは50歳以上の人々に多く、今でもたくさんの人に支持されており、旧ソ連圏ならどこでも購入できます。
本家アブラウ=ドゥルソの今?
本家アブラウドゥルソは今でもエリートなシャンパンとして販売していおり、専用のアトリエもあるようです。
公式サイトの紹介文によると
「ロシアのシャンパンであるアブラウ=ドゥルソ」は専門家に高く評価されています。国際およびロシア国内のテイスティングコンテストで数十のメダルを獲得しています。ロシアのシャンパンであるアブラウドゥルソのシャンパンはすべて、イタリアのプロセッコやアスティの数々に代わる優れたものであり、品質に劣らず、はるかに安価です。(公式サイト)
とあるように、最後の文は不要な気がしますが、ロシアのシャンパンであることを誇示し続けています。
私もロシアシャンパンを常飲しています。
日本では、アブラウドゥルソと検索すれば販売店が多くあります。楽天市場でもアブラウドゥルソはこの通りお求めやすい値段で取り扱われています。
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